このブログを読み返してみて

数年ぶりにブログを開いてみて振り返り。

 

恋愛に関して

自分の中で恋愛はかなり比重が置かれていて、自分を変化させる要素になっているようだ。何人かの男性と付き合った。たくさんの楽しい・嬉しい・幸せの気持ちを感じて、悩み・傷つけて・傷ついて失敗をたくさんした。今思うと、とてつもなく恥ずかしくて読み返したくもない、旦那さんに読まれたら…と考えるだけでゾッとする。それもこれもあって今の自分がいる、今一緒にいてくれる人がいることに感謝する。根本は他人と他人、互いに甘え過ぎてはならないと思う。

 

看護師になって

このブログを書いていた時は看護学生〜1年目。一番大変な時期だったと思う。

でもこのブログには看護に関してはあまり触れられていない。

看護や仕事に関しては他に表現する場があったのか、向き合ってなかったのか。

今思うと、なんとか乗り越えてきただけでブログで書く程・プライベードで思い悩む程に向き合いすぎていなかったから今の今まで看護師を続けていられるのかもしれない。

看護はもうすでに私の体を構成するベースとなっている。

精神看護学のブログの中でカエルの煮詰まって死ぬ話あったけど、私はすでに煮えている。今そのブログを読み返して思うのは、煮詰まっていいんじゃないかってこと。なんなら、私はやっと沸騰して中まで火が通ってきたところで。これからもっとグツグツと弱火で煮込んで美味しいカエルの出汁が出るまで煮詰めていきたいと思う。煮えるカエルに自信が持てている。もちろん、現状でいいのかどうか・今の看護で本当に良いのかと自問自答していくことは大切。味見ってところかな。看護だけでない、恋愛経験や家族関係や友情や結婚や出産子育てなどのスパイスも鍋の中に入ることで美味しい味ができてくると思っている。看護観なんて、実際の所なんでもいい。時代によって変化してもいい。自分の経験から看護観を変えてもいい。個々で違っていて当然。そんな看護観の決まらないところがおもしろくて、変だなと思うところ。